松前城は、1850(嘉永3)年幕府の命により、外国船の出没に備えて松前崇広が築いた城である。
城は高崎藩の兵学者・市川一学の縄張で、福山館を拡張して築かれた。 1868(明治元)年箱館戦争の折、松前城は土方歳三率いる約700人の旧幕府脱走軍によってわずか数時間で落城した。 この後、旧幕府脱走軍の松前奉行・人見勝太郎が6ヵ月にわたって松前を治めた。 翌1869(明治2)年、新政府軍によって松前城は奪回され、再び松前氏の領有となり、1871(明治4)年廃藩置県を迎えた。 |
松前城は、松前湾を南に臨む標高約30mの台地に築かれた平山城である。 城域は東西約200m、南北約400mであり、本丸・二の丸・三の丸から構成されていた。 城内には3重櫓1基、2重櫓3基、城門16基、砲台7座が設けられていた。 |
東・南・西の3方はあまり高くはないが急峻になっており、海からの攻撃に対しては強いであろうことが伺えた。 立派な本丸御門が現存していた。 |