三春城は、1504(永正元)年、田村義顕が築いたと伝えられ、以後田村氏、松下氏等の居城となる。 1645(正保2)年、秋田俊季が5万5千石で入城し、明治維新を迎えた。 伊達氏と田村氏との絆として伊達政宗の正室となった、田村清顕の一人娘、愛(めご)姫誕生の地として有名である。 |
三春城は、標高410mの大志多山一帯に築かれた城である。 近世の城は、山頂に本丸、本丸西の山麓に二ノ丸、東の山麓に三ノ丸が配されていた。 本丸には表門、裏門、三階櫓などの建造物が置かれていた。 |
それ程大規模な山ではないが、城地を無駄なく使っており、比較的大きな郭が多数見受けられた。 これだけ多くの郭があれば、守るにも当然多くの兵が必要となり、小大名には向かない城のように感じた。 |