小峰城は、南北朝期の武将である結城親朝によって1340〜1346年(興国年間)に築城されたのが城郭としての始まりで、
以後白河結城氏の有力な一族である小峰氏の居城であったが、1504〜1521年(永正年間)頃には白河結城氏の本城となっている。
1590(天正18)年豊臣秀吉による奥州仕置により結城氏が改易となって以後は、会津藩の城代が置かれ、
蒲生・上杉両氏の支配下に置かれた。 1627(寛永4)年丹羽長重が10万石で入封し、初代白河藩主となった。 現在にその名残を留める近世城郭は、長重が幕命により1629(寛永6)年から1632(寛永9)年にかけて大改修したものである。 幕藩体制の確立期において外様大名から江戸城を防備する一環として、奥州の要衝の地である白河に幕府が築城を命じたのであった。 その後丹羽氏、榊原松平氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の徳川譜代大名の居城であったが、 1868(慶応4)年戊辰戦争で焼失した。 |
小峰城は、阿武隈川の南岸に面した小峰ヶ岡と呼ばれる東西に長い独立丘陵(標高370m)を利用して築かれた梯郭式平山城である。 丘陵頂上部に本丸とその帯郭を設け、東南に二の丸・三の丸を配し、その周囲には堀を巡らし、 南に大手門、北に尾廻門(搦目門)、東に横町・田町門、西に道場・会津門が設置されていた。 全体にやや不整形な5角形を呈した城郭であった。 |
三重櫓などが木造復元されている。
三重櫓内では、戊辰戦争時の弾痕が残る床板などが見られる。 |