若松城は、1384(至徳元)年蘆名氏7代直盛によって築かれた東黒川館に始まると伝えられる。 蘆名氏は16代盛氏のとき最盛期を迎えるが、1589(天正17)年摺上原の戦いで伊達政宗に敗れて没落する。 1590(天正18)年、政宗は豊臣秀吉に会津を没収され、蒲生氏郷が会津領主として黒川城に入城する。 氏郷は城を近世城郭に大改修し、同時に城下町を整備し、黒川を若松と改めた。 1598(慶長3)年、氏郷の子秀行は御家騒動のため下野国宇都宮に転封となり、替わって上杉景勝が120万石を領して入城する。 しかし、景勝は関ヶ原の戦いで西軍に与したため、1601(慶長6)年徳川家康の命で米沢30万石に減封されている。 以後、蒲生氏、加藤氏が続き、1643(寛永20)年3代将軍徳川家光の庶弟保科正之が23万石で入城し幕末まで続いた。 |
若松城は、湯川北岸に築かれた平山城である。 主郭部は、西から本丸、二の丸、三の丸の順に梯郭式に配され、本丸の北側と西側には出丸が備えられていた。 本丸には5重7階の天守が築かれていた。 |
江戸時代後期の姿に復元すべく赤瓦への葺き替えが行われたと耳にしたので訪れてみた。 天守や走り長屋等が確かに赤瓦に葺き替えられている。 実に美しいっ! 残念ながら前回訪れた時の屋根の色合いを覚えてないので、帰ったら前回の写真と見比べてみたいと思う。 それにしても久しぶりに立派な近世城郭を訪れたが、やはり他の城とは格が違うっ! ということを改めて再認識した。 |
以前からテレビのニュースで雪化粧の若松城を見ており、是非雪が積もった城が見たいと思っていた。 この日ニュースで雪化粧の若松城が移り、休日であったので早速訪城することにした。 当日は雪が降っていなかったため若干天守の雪が溶け気味であったが、凍った水堀などを見られて満足であった。 |
マイカーを購入し、本日から城巡りを始めることにした。
記念すべき第1城目である。 立派な天守が復元されており、迫力があった。 |