中村城は一名馬陵城ともいわれる。 古くこの地は天神山といわれ、中世にはその一部に館が構えられたこともあった。 1611(慶長16)年7月、相馬利胤が木幡勘解由長清を責任者として築城に着手し、11月に完成、12月2日小高城よりここに移った。 以後明治初年に廃されるまで、約300年にわたる相馬氏歴代藩主の居城として、藩政の中心となった。 築城された1611(慶長16)年に、天守が本丸南西隅に建てられたが、1670(寛文10)年落雷のため焼失した。 その後は再建されていない。 |
中村城は、宇多川の北辺に位置する丘陵を中心に築かれた城である。 本丸の周りには郭・濠・溜池・土塁・空濠などを巡らし、二の丸を東・西・南・北に、三の丸を東・西・北に配している。 更に岡田塁(岩崎塁)・西館・円蔵郭・お花畑・蓮池などを置き、城をより堅固なものとしている。 |
本日は相馬野馬追の初日であり、中村城で出陣式と御行列が行われた。 仕事で来ているカメラマンすら「邪魔だ!どけっ!!」と一喝される厳かな出陣式と、色とりどりの旗指物が翻る騎馬行列。 どれも見応え十分であり、迫力あるものであった。 いずれは私もこの騎馬行列の中に混ざってみたいものである。 |
城の北側は2重の土塁・濠・蓮池などが確認でき、北方に守り堅い名城というのにも頷ける。 多くの遺構が残っており、一通り城内を見て回った頃には日が落ちていた。 |