二階堂氏が戦国大名として台頭するのは、二階堂12代行続、13代為氏の時代である。 仙道表鑑に「鎌倉公方足利持氏の時、奥州岩瀬郡を二階堂三河守行続に恩賜あり、須賀川城を築き在城す」とある。 その後、須賀川城は為氏によって、1457〜1460年(長禄年間)、現在の市街地に改築された。 このとき為氏は、陸奥守護職を務め、岩瀬郡のうち約5万7千石を領していた。
以後二階堂氏の居城として続くが、1589(天正17)年伊達政宗の侵攻によって落城し、二階堂氏は滅亡した。
須賀川城は、1590(天正18)年会津領主となった蒲生氏郷によって廃された。
須賀川城は、釈迦堂川、栗谷沢に囲まれた要害の地に築かれた城である。
本丸を中心に、二の丸などの曲輪によって周囲を固めており、各曲輪は水堀で囲まれていた。
遺構は特に残っていない。 現二階堂神社が本丸に位置していたことがわかるのみである。
足早に見学を終え、愛宕山に向かった。