関ヶ原の戦いで東軍に属して功を挙げた鳥居忠政は、1602(慶長7)年旧岩城氏領10万石を与えられ、翌1603(慶長8)年磐城平城を築いた。 その後、内藤氏、井上氏、安藤氏と引き継がれ、幕末に老中として活躍した安藤対馬守信正が藩主の時、1868(慶応4)年に戊辰戦争により落城した。 |
磐城平城は、好間川南の台地を利用して築かれた城である。 本丸の周囲には大手郭などいくつかの郭が配され、それら全体を囲むように堀が巡らされていた。 本丸から北に向かって二の丸、三の丸の順で、本丸とは堀を隔てて設けられていた。 |
家から近いこともあり、無謀にも下調べもせず、縄張図も持たずに訪れてみた。
案の定どこに遺構があるのかなかなかわからなかったが、幸いなことに丹後沢や石垣を発見することができた。 遺構はほとんど残っていないが、城内を散策していると台地上に存在する堅固な城であっただろうことが感じられた。 |