白土城は、14世紀中頃(南北朝時代)、岩城氏一族である白土氏によって築かれたようである。
15世紀(室町時代)中頃、磐城統一に乗り出した岩城隆忠は居城を長友館から白土城に移した。
その後、岩崎氏や相馬氏の攻撃にも耐え、隆忠・親隆・常隆の3代にわたり岩城氏の本拠として栄えた。
親隆の代には岩崎氏を滅ぼし、磐城統一を成し遂げている。
1483(文明15)年、常隆が居城を大館城に移してからは、親隆の隠居城や重臣・白土氏の居城として使用された。
1602(慶長7)年、関ヶ原の戦いで東軍に加担しなかったことにより岩城氏が所領を没収されると、白土城は廃城になったと考えられる。
白土城は、新川南岸に位置する比高約90mの丘陵に築かれた城である。
城域は東西約1000m、南北約900mに及び、全山に数多くの曲輪が配されている。
周囲の斜面が非常に急峻な天然の要害となっている。
新川側から増福寺に向かう道は非常に急でしかも狭い。 対向車が来てもすれ違えないし、怖くてバックも無理そうだ…
第一印象はまさに天然の要害という感じであった。
城はほとんど藪の中であったが、櫓台や土塁を確認できた。
後日、白土城について調べてみると自分が訪れた場所はほんの一部に過ぎないことがわかった。 また機会があったら訪れていない場所に行ってみたい。