1189(文治5)年、奥州合戦に参加した結城朝光はその賞として、源頼朝より白河の地を与えられた。 そして13世紀末頃(鎌倉時代末期)、その孫・祐広がこの地に白川城を築いて移って以来、白河結城氏の本拠となった。 白河結城氏は、3代親朝の時に分家・小峰氏を創設し、7代直朝の時には他家への介入を繰り返して所領を広げ最盛期を迎えた。 しかし16世紀(戦国時代)に入ると、小峰氏との間でしばしば内紛が発生し、白河結城氏は衰退の一途を辿った。 1575(天正3)年、12代義顕が小峰義親によって追放されると、白川城は廃城となった。 |
白川城は、阿武隈川南岸に位置する比高約60mの丘陵上に築かれた城である。 最高所に本丸を置き、そこから4方へ延びる尾根上に階段状の曲輪を配していた。 |
本丸周辺はよく整備されているのだが、石碑や墓石が倒れて立入禁止になっていたりするのが散見された。 東日本大震災の爪跡だろうか? きっと、こんな人里離れた所までは手が回らないのだろう。 |