吉井藩は、京都鷹司家の出である信平を祖とする。 石高は1万石に過ぎないが、徳川親藩として松平姓を名乗り、江戸城中では重きをなしていた。
藩主は江戸定府で陣屋を置いて藩治に当たらせた。 陣屋は始め木部村、次いで矢田にあったが、1752(宝暦2)年に4代藩主・信友が吉井に移した。
歴代藩主の中では、1859(安政6)年に水戸藩主・徳川斉昭蟄居の上使として大任を果たした11代信発、 戊辰戦争の功により賜った金千両を残らず家士に分配した12代信謹が名君として有名である。
吉井藩陣屋は、大沢川右岸に築かれた陣屋である。
規模は東西約140m、南北約130mであり、周囲に堀と土塁を巡らせた単郭式の陣屋であった。
南東に位置する表門には外枡形が設けられていた。
表門以外に遺構はないかと陣屋跡地を散策したが、特に何も見つからないまま日は暮れていった…