松井田城の築城時期は不明であるが、16世紀半ば(天文年間)頃には安中氏の居城であった。
1564(永禄7)年、西上野への領土拡大を図る武田信玄の侵攻を受け、城主・安中忠政は籠城して抵抗するが、 力尽きて降伏し切腹を命じられた。 信玄は市川国貞を城代として松井田城に入れた。
1582(天正10)年3月、武田氏の滅亡に乗じて北条勢が松井田城を占拠するが、 数日にして滝川一益率いる織田勢によって奪取された。
しかし同年6月、信長が本能寺にて横死したため、一益に臣従していた関東諸侯が不穏な動きを見せ始める。 これに乗じて北条氏政は軍勢を差し向け、神流川の戦いで一益を破り上野から駆逐、 重臣・大道寺政繁を松井田城に入れた。
1590(天正18)年小田原の役が勃発、上杉景勝・前田利家等を中心とした北国勢が松井田城を攻撃した。 政繁は籠城して1ヵ月にわたり抵抗を続けるが、遂に降伏して城を明け渡した。 政繁は北国勢の道案内となって関東各地で北条勢と戦ったが、戦後許されることはなく切腹となった。
松井田城は、北を九十九川、南を碓氷川に挟まれた標高約410mの丘陵上に築かれた城である。
規模は東西約1000m、南北約600mであり、 東西に延びる尾根とそこから北側に派生する放射状の支尾根から構成されている。
東西に延びる尾根上には西から順に二の丸・本丸・安中郭が並び、 各郭は巨大な堀切によって完全に独立したものとなっている。
個人的にはこの城の見所は二の丸西側にある連続空堀であった。 あの盛土の上に柵を幾重にも巡らし鉄砲隊を並べておけばまず突破は不可能だろう。 想像するだけで恐ろしい。
ところで本日は大変ショックなことがあった。 マイカーで松井田城へ向かう途中、高速道路で飛び石に被弾…  フロントガラスにひびが...orz
そんなこんなで今日は気落ちしながらの登城と相成った。