大椎城は、11世紀初頭(平安時代中期)頃、千葉氏の祖・平忠常が創築したと伝わる。
1126(大治元)年、千葉常重が亥鼻城を築いて本拠を移したが、その後も千葉氏の一族が拠った。
15世紀末(戦国時代初期)頃、土気城を本拠とする酒井氏の勢力下に入り、支城として機能した。
1590(天正18)年、小田原合戦で北条氏側についた酒井氏の滅亡と共に廃城となった。
大椎城は、村田川上流に位置する比高約40mの丘陵上に築かれた平山城である。
規模は東西約350m、南北約130mであり、東西方向に4つの曲輪が連なった連郭式を成している。
各曲輪は堀と土塁で仕切られ、南側は帯曲輪で防御を固めている。
土塁は大分削られているようだが、堀切や曲輪の形状が良好な状態で残っている。
井戸らしきものを2つ見かけた。