九州千葉氏の流れを汲む高城氏は、南北朝の争いで没落したため故郷である下総国に戻った。 高城氏は下総千葉氏の重臣・原氏に仕え、1462(寛正3)年には高城胤忠が根木内城を築いて居城とした。
その後、高城氏は原氏の重臣として徐々に勢力を拡大していくが、 小弓公方・足利義明やこれと結ぶ扇谷上杉氏との争いが激化し、より強大な城郭の必要に迫られた。
1530(享禄3)年、高城胤吉は支城の1つであった小金城の拡張、整備を行って居城を移したため、 根木内城は小金城の東方を守る支城となった。
根木内城は、富士川の合流点に向かって突き出した比高約30mの台地上に築かれた城である。
規模は東西約200m、南北約500mであり、大小いくつもの曲輪を複雑に配した連郭式の城郭である。 各曲輪は土塁と堀によって仕切られ、土橋によって連絡されていた。
台地続きとなる南を除く3方が低湿地帯に囲まれた要害であった。
1つの曲輪とそれを囲む土塁と巨大な堀が残っている。
城跡は根木内歴史公園として整備されており、 意外にも子連れの家族が多く見られ、ザリガニ釣りに励んでいた。
また、ここでも去年の震災の影響により、除染が行われていた。