小弓城の創築について詳細は不明であるが、
1394〜1428年(応永年間)には千葉氏の重臣・原氏が居城としていた。 その後、原氏は勢力を拡大していき、上総武田氏と衝突を繰り返すようになった。 1517(永正14)年、武田氏は古河公方・足利政氏の子である義明を盟主に迎えて里見氏と手を結び、 総勢6千騎にて小弓城を攻め落とした。 この戦いで原氏の一族郎党は多くの者が討死したという。 義明は小弓城を居城として小弓公方を名乗り、房総の諸将を従えて勢威を張った。 1538(天文7)年、義明は相模北条氏方についた千葉氏・原氏等と国府台にて雌雄を決するが、 大敗を喫して討死した。 小弓城には再び原氏が入城したが、 間もなくその北方1.5kmの所に生実城を築いて居城を移したため廃城となった。 |
小弓城は、大百池の西に位置する標高約25mの低丘陵上に築かれた城である。 規模は東西約590m、南北約430mであり、周囲に点在する台地上には出城を構えていた。 |
遺構らしいものはほとんどなく、八剱神社近くの墓地に設置されているという小弓城の案内板をひたすら探す。
されどさっぱり見つからず… ふと目に入った埋蔵文化財調査センターに入ると案内板の場所が書かれた地図が! この地図のおかげで無事案内板を発見し、さらに周辺の城の場所まで知ることができた。 やっぱり頼りになるな〜埋蔵文化財調査センター、と思った。 |