創築年など詳細は不明であるが、小弓城と同時期にその東方を守る出城として築かれたと考えられる。 16世紀前半頃には小弓公方足利義明の本拠・小弓城を守る出城として機能したが、 1538(天文7)年に国府台の戦いで義明が敗死すると原氏の支配する所となった。 原氏は小弓城を居城としたが、間もなく新たに城を築いて居城を移したため小弓城は廃城となった。 これに伴い、その出城であった城ノ台城も廃城となった。 |
城ノ台城は、大百池の東に位置する標高約30mの低丘陵上に築かれた城である。 規模は東西約260m、南北約270mであり、小弓城の東を守る出城として機能した。 |
丘陵東端入口付近に綺麗に整備された土塁?が見られた。
また、丘陵縁部にも土塁状の高まりが薄らと見られた。 しかし、いずれもいまひとつ遺構かどうか確証が持てなかった… |