後三年の役で目を負傷した鎌倉景政がこの地に来て治癒した事が目吹の由来であるという。
目吹城はこの時景政が居住した館に始まると伝わる。
その後、戦国時代後期には古河公方の御料所となり、その家臣である佐々木義信や一色義直が入った。
目吹城は、利根川低湿地帯に臨む低い台地上に築かれた城である。
遺構がほぼ壊滅しているため、正確な規模は不明である。
本日は乗馬クラブへ行く前に、ふらっと車で立ち寄ってみた。
熊野神社に遺構がわずかに残っているという事なので、熊野神社を訪れた。
これが遺構だ!と断定できるものは無かったが、熊野神社が建つ台地は周囲の傾斜がかなり急である事が見て取れた。 往時の地形がこのようなものであったなら、要害堅固な城であった事であろう。