江戸城は、1456(康正2)年扇谷上杉氏の家臣である太田道灌によって創築された城である。 道灌が上杉定正に殺害された後、江戸城は上杉氏の所有するところとなり、ついで1524(大永4)年扇谷上杉氏を破った北条氏綱の支配下に入る。 1590(天正18)年に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。 以来、家康、秀忠、家光の3代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ、江戸城の総構が完成した。 天守は、3代将軍家光まで代替わりするごとに建て替えられたが、1657(明暦3)年に焼失してからは江戸時代を通じて再建されることはなかった。 |
江戸城は、日比谷入江に向かって突き出た台地に築かれた平山城である。 初代将軍徳川家康の時に神田山を削って日比谷入江の埋め立てを行い、3代家光のときに外郭総延長16kmにも及ぶ大城郭が完成した。 内郭は周囲約8kmに及び、5重6階の天守、櫓20基、城門40余門が建てられていた。 |
本日は日本城郭検定を受験するため、受験前にテンションを上げておくべく江戸城に立ち寄った。 やはり江戸城の規模は規格外であり、石垣も大変立派で興奮してくる! 立ち寄って大正解であった。 ところで、検定会場では日本城郭検定イメージキャラクタ「シロッぷ」が受験者の応援にやってきた。 襷には「1日試験官 シロッぷ」と書かれている。 1日しか行われない試験で「1日試験官」って… |
今回は真っ直ぐ東御苑に向かい、無事入苑することができた。
本丸は非常に広く、天守台や石垣、松の廊下など見所も多かった。 歩き疲れてしまい北の丸公園へは行けなかったので、次回は北の丸公園まで足を伸ばしたいと思う。 |
他の城と比べて子供と大人ほども違う立派な城門であった。 が…見とれている内に東御苑が閉まってしまった。 近い内に再訪し、東御苑内も見たいと思う。 |