神田城は、那須氏の祖・首藤権守貞信が1088(寛治2)年八溝山中にいる岩嶽丸を退治した功績により下野那須の地を賜り、
1125(天治2)年に築城したのに始まるといわれる。 以後、貞信、資通、資満、資清と4代にわたり続き、那須氏が稲積城、高館城に移ると廃城となった。 源平屋島の合戦で扇の的を射落とした那須与一宗隆は、1169(嘉応元)年那須資隆の11男としてこの地で生まれたと伝えられている。 |
神田城は、権津川西方に位置する典型的な単郭長方形の居館である。 規模は東西約70m、南北約120mであり、周囲には高さ約5mの土塁と堀を巡らせていた。 |
烏山城を探して迷っていたら、たまたま神田城を見つけたので見学することにした。 郭内は田んぼ?になっており、土塁と堀も一部破壊されているが、典型的な中世武士の居館の姿を良く残している。 |