川崎城は、1199〜1204年(正治・建仁年間)、宇都宮業綱の2男・塩谷朝業によって築かれたという。 朝業は3代将軍・源実朝と和歌を通しての親交があり、中世文学史に残る「信生法師集」を残している。 以来約400年間、川崎城は塩谷地方北西部を治める塩谷氏の本拠地であった。 |
川崎城は、宮川右岸に位置する比高約50mの丘陵上に築かれた城である。 規模は東西約300m、南北約290mであり、南北に延びる尾根を堀で分断し、 南から順に本丸・二の丸・三の丸を配した連郭式城郭となっている。 長きにわたり使用されていただけあり、曲輪は綺麗に削平されている。 |
城の西側を走る東北自動車道によって一部破壊されてしまっているようだが、曲輪・堀・土塁などが綺麗に残っている。 特に本丸周囲を巡る堀は見事なものであり、一見の価値がある。 |