1452(享徳元)年または1455(康正元)年、明大寺に居館を構えていた西郷弾正左衛門頼嗣(青海入道)が、
菅生川の北岸に砦となる城を築いたのが岡崎城の始まりである。
その後、安祥城主から岡崎城主となった松平清康は1531(享禄4)年にこの地を本拠とし、本格的な岡崎城を構えた。 1542(天文11)年12月26日に城中で徳川家康が誕生している。 1590(天正18)年に豊臣秀吉の部将であった田中吉政が入城。 城郭を拡張して東海道を城下に引き入れ、城の東・北・西に惣構えの堀を巡らし、近世の岡崎城と城下町の基礎作りを行った。 江戸時代は、前本多氏4代(康重系)、水野氏7代、松平氏1代、後本多氏6代(忠勝系)と5万石の譜代大名の居城となり、 その間たびたび修復が行われた。 |
岡崎城は、菅生川と矢作川の合流地点にある半島状丘陵(龍頭山)に築かれた城である。 菅生川を背に本丸を配し、その周りに二の丸、東の丸、三の丸、白山曲輪、稗田曲輪、浄瑠璃曲輪などを配置した梯郭式構造であった。 |
車で訪問したのだが、早朝は駐車場所がなく非常に困った。 「三河武士のやかた」では長槍の重さ等を体感できる。 |