1521〜1528年(大永年間)に今川氏親が尾張進出のために築いた「柳の丸」が名古屋城の起源とされる。
1532(天文元)年織田信秀が今川氏豊から城を奪い取り、那古野城と改名した。
1555(弘治元)年織田信長が居城を清州城へ移すと、やがて廃城となった。 清州城は長らく尾張の中心であったが、1609(慶長14)年徳川家康は東海道要所の抑え、 そして大坂方への備えとして清州から名古屋へ城を移すことを決意する。 翌1610(慶長15)年家康は西国の外様大名等に天下普請を命じ、1612(慶長17)年に完成した。 その後家康の9男義直が入城し、江戸時代を通じて御三家筆頭尾張徳川家が続いた。 |
名古屋城は、庄内川南の名古屋台地西北端に築かれた梯郭式平城である。 本丸を中心としてその周囲を御深井丸、西の丸、二の丸で囲み、さらにそれらの南から東にかけて広大な三の丸で囲んでいた。 本丸の北西隅には5重6階の大天守がそびえ、金の鯱が載っていた。 |
前回本丸に入れず涙を呑んだので、今回は朝一6時に現地入りして見学を開始した。 ゆっくり時間をかけて3重の堀や現存櫓等を見て回ることができて満足であった。 また、本丸御殿の復元工事を大規模に行っており、8年後の完成が楽しみである。 |
渋滞により到着が遅れ、着いたのはなんと16:30! もはや本丸に入ることができず、残念ではあったが外堀を中心に日が暮れるまで見学した… 石垣や堀など、他の城とは一線を画するスケールの恐ろしい城であった。 |