松倉城は、1579(天正7)年、飛騨統一にあたる拠点として三木氏6代自綱によって築かれた城である。
もともと三木氏は飛騨守護・京極氏の代官であり、初代正頼の時、 戦功によって益田郡竹原郷を与えられた。
以後、次第に勢力を拡大して主家・京極氏からの独立を果たし、 4代直頼の時には飛騨半国を領するまでに成長し、萩原に桜洞城を築いて居城とした。
そして5代良頼の時、飛騨国司家・姉小路氏を滅ぼしてその名跡を継ぎ、 6代自綱の時に飛騨北部を領する江馬氏を滅ぼし、1582(天正10)年遂に飛騨統一を成し遂げた。
しかし1585(天正13)年、三木氏は羽柴秀吉打倒の姿勢を見せたため、 秀吉に金森長近率いる大軍を送り込まれ、瞬く間に滅ぼされた。
こうして松倉城は、築城後わずか6年にして廃城となった。
松倉城は、南に松倉谷川、東に苔川が流れる標高約860mの丘陵上に築かれた城である。
規模は東西約210m、南北約70mであり、最高所に本丸を置き、その周囲に二の丸・三の丸を配している。
大きな石を使用した総石垣となっており、三木氏の力の大きさが偲ばれる。
今までの訪城歴を見てみると、飛騨国はいまだ1城も訪れてないことが判明した。 そこで今回の旅では飛騨国を中心に攻めてみることに決めた。
松倉城には車で訪れたのだが、城へ至る林道には雪が積もっており、 途中で動けなくなることを恐れた私は林道入口に駐車して徒歩で城へ向かった。
城に到着してからしばらく歩くと、ふと前方に立派な石垣が現れて驚かされた。 飛騨一円を支配と言ってもたかだか3万石程度だし大したことないだろうと思っていた。 築城に際して織田氏の援助があったのだろうか?