座光寺南本城の歴史は定かではないが、下伊那の豪族・座光寺氏の本拠である座光寺北本城からわずか250m程の距離に位置しているため、
座光寺氏に関連があるものと見られる。 築城目的には、1582(天正10)年の織田信長による信濃侵攻に備えるため、徳川家康の下で豊臣秀吉に対抗するため等諸説あるが、 これを裏付ける資料は発見されていない。 |
座光寺南本城は、天竜川の西に位置する比高約80mの段丘上に築かれた城である。 規模は東西約130m、南北約270mであり、段丘は南に向かって突出し、その東西には谷が深く入り込んでいる。 本曲輪は最高所に置かれ、その南北を西曲輪・南曲輪・北曲輪に囲まれており、それぞれ堀切で区画されている。 |
この時、私は空腹であった。 すると、どうした事か堀切や土塁を見ても何の感慨も湧かない。 思う事は「あっ、土塁だ。はぁ〜」「あっ、堀切だ。はぁ〜」「もう帰りたい〜」といったものばかりであった。 そして、この後コンビニで肉まんを購入して食し、次の城へ向かった。 すると、どういう訳か元気が出てきて楽しく城見学することができた。 やはり食の欲求を満たしていないと、人間(私だけか?)楽しめないようである。 ちなみに城については土塁や堀切など良く残っていたが、草木が邪魔で見辛い箇所が多かったように思う。 当然だが、冬に訪れるのが良さそうである。 |