春日山城は、南北朝時代に越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰城として築いたのが始まりとされる。
1507(永正4)年、守護代であった長尾為景が上杉定実を擁立して守護上杉房能を追放した。 新守護として定実が府中に入ると、長尾氏が春日山城主となった。 その後、為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の4代の居城となったが、1598(慶長3)年豊臣秀吉の命で会津120万石に転封となった。
替わって堀秀治が城主となるが、1607(慶長12)年堀氏は直江津港近くに福島城を築城して移ったため廃城となった。
春日山城は、頚城平野の西北に位置する春日山に築かれた城である。
蜂ヶ峰と呼ばれる標高180mの独立丘を中心に、4方に延びる尾根を利用して屋敷を造り、それらを空堀と土塁によって防御している。
さらに山城の東に広がる平坦地には、土塁と監物堀による1.2kmに及ぶ総構えが造られていた。
建物は何も残っていないが、よく整備されており、春日山城の壮大さが強く感じられる。