葛山城の起源は不明であるが、15世紀中頃(室町時代中期)までには成立していたと考えられている。
葛山城は、今川氏の家臣・葛山氏の本拠地である葛山館の詰め城として機能していた。
葛山城は、葛山館の北北西約300mに位置する比高約70mの愛宕山に築かれた城である。
規模は東西約350m、南北約70mであり、北は急な谷になっており、東には佐野川が流れる。
城は山頂の本丸を中心に、東に東出丸、西に二の丸・西出丸が配された連郭式を成している。
東出丸と本丸、二の丸と西出丸の間はそれぞれ2重の堀切で仕切られている。
遺構は全体的に良好な状態であり、主郭部と出丸を分断する東西の2重堀切が特に見応えがあった。
ただ竪堀が草木に覆われており、判然としなくて残念だった。