足柄峠は、相模・駿河の境目に位置し、古くから官道が通る要衝であった。 このため、12世紀(平安時代末期)頃から戦略上の要地として何度か陣が構えられた。
足柄城の創築年は不明であるが、大森氏によって15世紀初頭(室町時代前期)に築かれたものと推測される。
その後、16世紀(戦国時代)には後北条氏の支配下となり、 対武田・今川に備えた領国西方を守護する拠点として重要な役割を担った。
1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城し、廃城となった。
足柄城は、足柄峠を取り囲むように標高約750mの山上に築かれた城である。
規模は東西約220m、南北約310mであり、南北方向に延びる尾根を堀切で区切った典型的な連郭式山城である。
こんな山奥にも関わらず、意外に観光客が多く訪れていた。 このため車通りもそこそこあり、すれ違いの難しい峠道の運転は大変であった。
城は典型的な連郭式城郭であり、堀切は状態が良く、なかなか見応えがあった。
城のすぐ近くに聖天堂があり、そこに金太郎像があったので写真を載せておく。