1333(元弘3)年、白旗城は播磨の土豪・赤松円心によって築かれた。
1335(建武2)年、鎌倉倒幕の功労者である足利尊氏と新田義貞の対立が激化し、全国を巻き込む南北朝の争乱に発展した。
翌1336(建武3)年2月、尊氏は摂津豊島河原の戦いで新田勢に大敗を喫し、再起を図るため九州へ落ちて行った。 尊氏方についていた円心は、尊氏が再起を図る時間を稼ぐため、白旗城を中心とする防衛網を敷き、新田勢を迎え撃った。 その結果、円心は50日余りにわたる新田勢の猛攻を凌ぎ切り、同年5月の尊氏再上洛までの時間稼ぎに成功した。
この功によって、赤松氏は播磨・美作・備前3ヶ国の守護に任命され、室町幕府の重鎮として勢威を振るった。
しかし1441(嘉吉元)年、嘉吉の乱で赤松満祐が将軍・足利義教を暗殺したため、赤松氏は幕府軍によって滅ぼされた。
1458(長禄2)年、赤松氏の御家再興が許され、赤松政則は加賀半国の守護に任じられた。 1467(応仁元)年、政則は応仁の乱で細川氏側について戦い、旧領・播磨を取り戻した。 そして1469(文明元)年、政則は置塩城を築いて居城としたため、白旗城は本城としての役割を終えることとなった。
白旗城は、標高約440mの急峻な山に築かれた城である。
山頂から南北に延びる約550mの尾根上に本丸・二の丸・三の丸・馬場丸・侍屋敷等が連郭式に連なっている。 土塁・堀切・石垣などが見られ、その遺構から16世紀半ば(戦国時代後半)頃まで使用されていたと思われる。
車で感状山城から上月城へ向かっていたのだが、白旗城という案内板が見えたため立ち寄ってみた。 しかし白旗城は山深い場所にあり、時間的に今から登城することは難しかったため、 今回は遠望のみにして予定通り上月城へ向かった。
ところで白旗城付近の道でいくつもの「白旗城まつり」なる看板を見かけた。 何やらまつり当日には白旗城に皆で登城する企画があるらしい。 こんな山奥の城にまつりの企画として登るとはっ! つくづく今は城ブームなのだな、と感じた。