赤木城は、1589(天正17)年、北山代官であった藤堂高虎によって、北山一揆鎮圧を目的として築かれた城である。 1585(天正13)年、高虎は豊臣秀吉の弟・秀長の配下として紀伊攻略に参加し、北山代官に任じられた。 1588(天正16)年、検地に反対した農民達が北山一揆を起こしたので、高虎はこれを武力制圧して首謀者を田平子峠で斬首した。 1614(慶長19)年、領主・浅野氏が大坂冬の陣に参陣している隙をついて再び北山一揆が発生した。 この時、浅野勢は赤木城を一揆鎮圧の拠点として利用したものと考えられる。 |
赤木城は、赤木川右岸に位置する標高約230mの丘陵上に築かれた城である。 規模は東西約170m、南北約170mであり、主郭を最高所に配し、 そこから3方に延びる尾根上にそれぞれ北郭・東郭・西郭を設けていた。 さらに、東郭と西郭間の谷地には南郭があり、平時の生活空間として利用していた。 各郭は南郭を除いてほぼ総石垣となっていた。 |
やはり山奥にあるためか、自分以外誰も見かけなかったが、
全体的に綺麗に整備されており、とても見学し易かった。
特に東郭と西郭が2股に分かれて延びる部分が美しいと感じた。 全体的に小さくまとまった美しき城という印象であった。 |