1588(天正16)年、豊臣秀吉の検地に反対した北山の農民が一揆を起こしたため、
当時北山代官であった藤堂高虎は武力によって鎮圧し、首謀者を処刑した。 この際、北山へ通ずる主要街道を押さえるため、堀内氏善によって京城は築かれた。 |
京城は、相野谷川と相野川の合流点に位置する標高約70mの丘陵上に築かれた城である。 規模は東西約210m、南北約180mであり、山腹の居館と山頂の詰の2ヶ所から構成されている。 2ヶ所とも多くの石垣が築かれており、互いの連絡部分には竪土塁を設けて防御を固めている。 |
到着して早々野良猫が寄って来た。
何だ?と思っているとコロコロと寝転がって腹を見せてくる。
撫でて欲しいのか?と思ったがとりあえず無視して城へ突入した。
しかし、猫はどこまでも追って来る。
見学している間中猫に付きまとわれるのも嫌だったのでひたすら駆け回って何とか猫を撒くことができた。 猫一匹にびびって情けない限りである。 ご近所の方々からは不審に思われたことだろう。 城については枡形など様々な遺構が見られたが、藪があまりにひどかった。 藪が刈り取られた状態で見てみたいものである。 |