鵜殿城は、13世紀(鎌倉時代)頃、熊野水軍の将・鵜殿氏によって、 交通の要衝である熊野川河口の見張台として築かれたものと推測される。
南北朝の争いでは当初鵜殿氏は南朝方であったが、1382(永徳2)年北朝方に転じた。 このため、北山の南朝軍が鵜殿城に押し寄せたが、数日間にわたる戦いの末、南朝軍を退けている。
その後、鵜殿氏は三河へ移り、今川氏・徳川氏の家臣となって存続する。
鵜殿城は、熊野川河口に位置する標高約40mの丘陵上に築かれた城である。
規模は東西約30m、南北約30mであり、単郭式で周囲には土塁を巡らせている。
また、尾根続きとなっている南北は堀切で遮断している。
当初檜杖城に行くつもりであったが、なんと県道740号が昨年の大雨の影響で通行止めになっていた。 よくよく見ると周囲の山々にも巨大なブルーシートが掛けられていたり、 大木がひっくり返っていたりと災害の爪跡が随所に残っていた。
そんなわけで今回檜杖城は諦め、鵜殿城を訪れることにした。 城は土塁や堀切が良く残ってはいるが、あまりに小規模であるため少し味気なく感じた。