宮尾城は、1555(弘治元)年厳島の戦いの折、毛利元就によって築かれた城である。
1551(天文20)年、周防を中心として大勢力を張っていた大内義隆が家臣・陶晴賢によって殺害された。 そして、大内家は晴賢によって乗っ取られ、小大名であった元就は晴賢に臣従する事となった。
しかし1554(天文23)年、独立を目論む元就は晴賢を裏切り、周辺の陶勢力を駆逐した。
1555(弘治元)年、兵力に劣る元就は晴賢との決戦場を地の利がある厳島に定め、宮尾城を築いて陶勢の来襲を待ち構えた。
同年、晴賢は約2万の大軍を率いて宮尾城を攻めたが、地形の問題から兵力の差を活かせないまま毛利勢の奇襲を受けて潰走。 追い詰められた晴賢は厳島で自刃して果てた。
宮尾城は、厳島神社の北方約500mに位置する比高約30mの要害山に築かれた城である。
規模は東西約160m、南北約120mであり、真ん中の堀切によって分割された一城別郭式となっている。
数段の郭から構成される単純な造りであるが、周囲を急斜面に囲まれた天然の要害である。
囮城なのでもっと小さな砦のようなものを想像していたが、実際に訪問してみて意外に広い事がわかった。
厳島の戦いの折、毛利勢は約300人で宮尾城に籠城したというが、この広さなら300人入りそうである。
ところで、宮島には鹿が多く生息しているのだが、ここ宮尾城でも3匹仲良くくつろいでいる鹿を見かけた。 とりあえず写真を載せておく。