創築年やその役割など詳しいことは明らかでないが、
菅原池南側の小丘陵に築かれた宮窪城は、
幸賀屋敷との位置関係からその詰城として機能していたと考えられる。 |
宮窪城は、幸賀屋敷の西方に位置する標高約30mの丘陵上に築かれた城である。 規模は東西約70m、南北約100mであり、階段状に数段の曲輪を連ねた小規模なものである。 土塁も堀も見られず、ただ曲輪を連ねたのみの城であったようである。 |
2、3段の削平された曲輪が確認できたが、他には特に何もなかった。 また、曲輪内には棘がある草が所々に生えており、肌に刺さって痛かった。 |