仏殿城は、1338(暦応元)年、伊予国大領・河野通政の命を受けた土肥義昌によって築かれたという。 その由来は、山頂にあった仏堂を取り込んで築城した事にあると伝わる。
仏殿城は伊予東端の4ヶ国が接する要地に位置したため、築城以来数多の攻防が繰り広げられている。
1342(興国3)年、1364(正平19)年、1379(天授5)年、1539(天文8)年と4度にわたって細川氏に攻められ、いずれも落城。
1574(天正2)年、城主・妻鳥光家が土佐の長宗我部氏に通じたとの疑いにより、河野通直に攻められて落城。
1582(天正10)年、四国統一を目論む長宗我部元親の攻撃を受けて落城。
そして1585(天正13)年、羽柴秀吉による四国征伐で小早川隆景の攻撃に遭って落城し、廃城となった。
仏殿城は、標高約60mの城山に築かれた城である。
城山は独立丘陵であり、南に金生川が流れ、西は瀬戸内海に面する水上交通の要地である。
規模は東西約200m、南北約260mであり、南から北に向かって本丸、二の丸、三の丸と並ぶ連郭式城郭である。
広島から瀬戸大橋を渡って高知城へ向かっていると、カーナビにお城のマークが!
これは立ち寄るしかない!
というわけで途中で高速道路を下りて仏殿城へ。
仏殿城には模擬天守などがあったが、残念ながら元旦は休日らしい。
しかし、建物の中に入れないだけで歩き回る事はできるので一通り見学。
丘陵上からは瀬戸内海を見渡すことができ、なかなかに開放的な城であった。