1638(寛永15)年、外国船来航を監視するため、浦戸を含む土佐藩内4ヶ所に遠見番所が置かれた。 やがて外国船が日本近海に度々出没するようになったため、1808(文化5)年に大筒が配備され、 さらに1863(文久3)年には本格的な砲台場が構築されるに至った。 しかしその後、砲台場は火を噴く事なく、廃れていった。 |
浦戸砲台場は、浦戸城址の東出丸を利用して築かれた砲台場である。 東に突き出した標高約30mの小丘陵上に位置しており、北の浦戸湾、東と南の太平洋へ向けての射撃が可能となっている。 西麓には弾薬庫が設けられていた。 |
遺構は弾薬庫跡ぐらいである。
確かに砲台場は弾薬庫と大砲だけあれば成立するので、他に遺構が残って無いのも納得である。 ところで、この周囲には観光名所がたくさんある。 桂浜、土佐闘犬、水族館、坂本龍馬記念館・像、… 家族連れやカップルも多く訪れており、1日楽しむ事ができる。 |