バスティーユは、1370(応安3)年、シャルル5世によってパリを囲む市壁の一角としてその東端に築かれた要塞である。 その後、パリの市壁が拡張されてその中に取り込まれるとその役目を終え、17世紀前半(江戸時代初期)に牢獄に転用された。 ここには王の勅命により、王政に批判的な人々が収容されていたため、 18世紀末期(江戸時代後期)に勃発したフランス革命では真っ先に民衆の襲撃を受けて陥落した。 この時のバスティーユの司令官ド・ローネー侯爵は暴徒と化した民衆によって処刑され、牢獄は解体処分された。 |
バスティーユは、パリを囲む第3次市壁の一角としてその東端に築かれた要塞である。 現在は解体処分されて広場となっているが、すぐ近くの公園にはその基礎が残っている。 |
バスティーユ広場周辺には残念ながら遺構はほとんど残っていない。 しかし、その近くに要塞の基礎が保存されている公園があるという。 適当にウロウロすれば見つかるかと思って探したのだが、まったく見つからない… 遂には諦めて別の観光ポイントへ向かって歩いていると、なんとそれらしき公園を発見! ラッキー♪ 探しものとは、探している時には見つからず、諦めた時に見つかるものなのかもしれない。 |