白豚の館 > 城一覧 > [備前]天神山城 |
[備前] |
備前国一円を支配した大吊・浦上宗景の本拠 |
![]() |
|
1531(享禄4)年、播磨西部から備前東部を領有した浦上村宗が戦死したため、その遺領を長男・政宗が継いだ。
しかしそれに不満を持った弟の宗景、国秀が独立、宗景は備前東部の太鼓丸城に移った。 翌1532(享禄5)年、兄・政宗が弟を討つため備前へ出陣、国秀が拠る富田松山城を落とすが、 宗景とは勝負がつかず互いに兵を引いている。 1533(天文2)年、宗景は天神山城を築いて本拠とし、その勢力を備前一円から播磨、美作までも徐々に拡大していった。 しかし1558~1570年(永禄年間)頃には家臣・宇喜多直家が備前で大きな勢力を持つようになり、宗景と対立するようになった。 そして1577(天正5)年、毛利氏と手を結んだ直家の攻撃によって天神山城が落城、宗景は播磨へ落ち延びた。 天神山城は落城と共に直家によって廃城とされた。 |
細長く延びる尾根を階段状に削平して曲輪を並べ、南西麓には侍屋敷を設けていた。 また、南東には尾根の鞍部を挟んで太鼓丸城が位置しており、天神山城の出城として機能していた。 |
2013/10/16 | 侍屋敷の上方には岩がゴロゴロ… 侍は生き延びられたのか!? |
本日は運動不足解消を兼ねて、散歩ついでに当城を訪れた。
今は祖父宅に遊びに来ており、そこから城まで車でわずか15分と近いのである。 城は細長い尾根上に曲輪が連続しており、まるで小谷城を見ているかのようであった。 ところで、帰りは本丸から南西麓の侍屋敷の方に下りたのだが、途中大小様々な岩石がたくさん転がっていた。 私の所感では、ちょっと地震が起きただけで大量の岩石が降り注いで侍屋敷が潰れてしまいそうな気がしたが、大丈夫だったのだろうか? |